2010年11月06日

キャラヴァンのこと

【 キャラヴァンについて 】

 ワイルド・フラワーズが分裂してできた、もう一方のグループであるキャラヴァンの方は、フリー・ミュージックの影響を受けながらも、次第にメンバー達の育ったカンタベリー周辺の牧歌的な風景を想起させるような、ある種「軽み」を取り入れた独自のサウンドを創っていきました。
 ハーン・ベイ在住のデイヴ・シンクレア、カンタベリー在住の大学生でデイヴの従兄弟のリチャード・シンクレア、フィッツタブル在住のリチャード・コーフラン、ここにスコットランド在住のパイ・ヘイスティングスが合流して、1968年CARAVANの活動が始まりました。活動開始からしばらくの間、メンバー4人が共同生活をして創作の日々を送ったのは、フィッツタブル(カンタベリーの北約10km、ハーン・ベイの西4kmほどの海辺の町)にあるとある家でした。

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CARAVANがスタートしたWhitstableの家 © AADBEG Ltd.

 隣家や外部に騒音で文句を言われぬよう、出窓やクローゼットには布団を詰めて防音対策を施し、昼夜を問わず創作と演奏に明け暮れるバンド活動が始動したのです。ちなみに、この家に集合する約束の日、パイはスコットランドの大雪のため車で出られず、一日遅れた到着となりました。

 2枚のアルバムをリリースしたあと、DERAMに移籍したCARAVANは、ロンドン市内にあるDERAMのスタジオで3枚目のアルバムを完成させました。その作品が、「グレイとピンクの地(In The Land Of Grey And Pink)」(DERAM 1971)です。このアルバムは、CARAVANの代表作というだけではなく、広くカンタベリー音楽のマスターピースと評価されています。さらに、「プログレ100選」、「英国ロック100選」的なセレクションには、まず間違えなくノミネートされる著名作品です。

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 LPのA面に「軽み」のある小曲4つが埋められ、B面には20分以上に及ぶ大曲組曲「Nine Feet Underground」が収められています。この大作の作詞作曲者が、オリジナルメンバーの一人、デイヴ・シンクレアその人だったわけです。(クレジット上はメンバー全員の名が載っていますが、それは当時の習わしです。)
posted by Crescent Label Master at 10:01| コラム

プログレ、カンタベリーのこと

Pianoworks I からDave Sinclair にはじめて興味を持ってくださった皆さんのために、今までのデイヴの歩みに関連する諸事項を、項目別に、ざっと俯瞰することにします。

まずは、デイヴが60年代後半以降属していた、CARAVANというバンドや、CARAVANが旗頭の一つとされていた、当時の音楽カテゴリー、プログレッシヴ・ロックのカンタベリー・シーンなどについてです。

【 プログレッシヴ・ロックについて 】

 1960年代後半、英国で発生した音楽カテゴリーです。通常のロックと異なり、クラッシック、ジャズ、現代音楽、民族音楽など他の分野の音楽のエッセンスを取り入れた複雑な構造のロックで、通称「プログレ」と呼ばれていました。
 シーンの代表格は、キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、ムーディー・ブルース、イエス、エマーソン・レイク&パーマー、ジェネシスなどで、代表作は各々、「クリムゾン・キングの宮殿」、「狂気」、「童夢」、「危機」、「恐怖の頭脳改革」、「幻惑のブロードウェイ」となりましょう。
 プログレのムーブメントは1970年代中頃で、パンクの台頭と共に衰退の歴史に入りました。

【 カンタベリー・シーンについて 】

 そんなプログレの中で、英国ケント州カンタベリー(英国大聖教の聖都)で、独自のプログレ分野が発生していました。それはカンタベリー郊外にある、ラントン・グラマー・スクールという高校の出身者たちを中心に形成され、ワイルド・フラワーズというバンドから枝分かれする形で、ソフト・マシーン、キャラヴァンというバンドが生まれたことから始まりました。その音楽性は、他のプログレバンドとはまったく異なる独特なものでした。

【 ソフト・マシーンについて 】

 ソフト・マシーンは、ロンドンのUFOクラブなどで、ピンク・フロイドと双璧の人気を誇り、対岸のヨーロッパ大陸経由で入ってくるヒッピー文化の影響や、アメリカ大陸で隆盛を誇っていたフリーフォーム・ジャズの影響を受けた独自の音楽は、多くのファンの支持を集めました。オリジナルメンバーは、ロバート・ワイアット、マイク・ラトリッジ、ケヴィン・エアーズ、デヴィッド・アレンです。ここにマネージャーとしてヒュー・ホッパーが付き、アレン脱退後に正式メンバーとなっています。
 このバンドは、目まぐるしくメンバー交代をして存続していましたが、オリジナルメンバーが誰もいなくなった後半期のリーダーであった、カール・ジェンキンスは、後年、アディエ・マスで世界的ヒットを飛ばしており、ロバート・ワイアットは1973年、事故で脊髄損傷を負い車椅子生活となって以降、シンガーソングライターとして活躍し、現在では音楽界の巨星の地位を占めています。

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R.Wyatt(Photo by Alfie) © AADBEG Ltd.
posted by Crescent Label Master at 03:33| コラム