2010年11月24日

デイヴ・シンクレア:音楽家としての血統

デイヴ・シンクレアは、60歳を過ぎても(今日で63歳!)、フレッシュな作品を作り続けています。その創作の様子は、まるで泉から水が湧き出すかのごとく、自然で豊かです。同世代のカンタベリー系の音楽家たちと比べると、これは驚異的と言ってもよいでしょう。
古くはCARAVAN時代の“For Richard”(2nd album: If I Could Do It All Over Again 1970に収録)から、今日のStreamに至るまでのデイヴの演奏・作曲能力の高さは折り紙つきですが、このコラムでは、そんなデイヴの天賦の能力はどこから来たものなのか?少し掘り下げてみることにします。

まず、デイヴの父系から見てみましょう。デイヴの祖父は、カンタベリー在住で、多才な芸人やコメディアンであるだけでなく、凄腕の写真家でもありました。カンタベリーのほぼ中心、ノースゲートで写真館をやっていましましたし、その他にカンタベリー郊外のウインチープというところで、“King's Head”というパブを運営していました。

IMG (320x232).jpgpaper.e.1 (255x320).jpg
















パブ King's Head ・・・昔と今

父方の祖母は、旧姓Greenmanといい、天才的なミュージシャンでコントラアルトの歌い手でした。このご両人は、ハーン・ベイで催されたミュージカルの出演で知り合って結婚に至ったということです。デイヴのお父さんが長期にわたって大切に保管していた、1904年!当時のポスターに、ご両人の名前を見ることができます。

1 (217x320).jpg


この父方祖母が、特殊な音楽能力の持ち主だったようです。いろいろな音楽イヴェント(例えばクラッシックの交響曲なども)に行って帰宅すると、そこで演奏された音楽をすべて記憶していて、ピアノでコードやメロディーを完璧に再現してみせたということなのです。

IMG_0001 (213x320).jpg

デイヴの父方祖母。デイブの愛娘フェリシアは、この御祖母に激似です!

この特殊な音楽能力が、デイヴのお父さんを経由して、完璧にデイヴに引き継がれているというわけなのです。
デイヴの父の弟は、Richard(Dick) Sinclairといい、直接この音楽遺伝子を継承していて、生まれながらにしてエンターテナーでミュージシャンだった一方で、天才的な工芸家で主に木工の仕事をしていました。その息子であるリチャード(元CARAVAN、デイヴの従兄弟)もこのGreenmanさんの遺伝子を引き継いでいることは言うまでもありません。

さて次に、デイヴの母系の方を見てみましょう。(蛇足ですが、デイヴのご実家におじゃました際、ご母堂はつたない英語で会話する異邦人には特に驚かれなかったのですが、デイヴのことが記事になっている古いローカル新聞を私が読み出したときは、心底驚いておられました。そのことに私のほうがビックリしたというわけです。
私は多くの日本人がそうであるのと同じく、英会話より英語の読み書きのほうがストレスが少ないのですが、生粋のイギリス人からすると、日本人が英語の新聞を読んでいるのが不思議な光景だったようです。)

DSC00874 (320x240).jpg

デイヴと御母堂

この、デイヴのご母堂の旧姓はBlow。そう、デイヴの母系の上流には、17世紀のバロックの大作曲家兼オルガン奏者、John Blowがいるのです。(John Blowは1708年にウェストミンスター大修道院に埋葬されています。)そして、このデイヴのご母堂の兄の子が、先のコラムで触れた、Nigel Blowなのです。

John_Blow[1].png

ジョン・ブロー

このように、デイヴの音楽家としての血統には、2つの大きな潮流があることがわかります。1つは父系からGreenmanさんの「聴きとる」特殊能力であり、もう1つはJohn Blowの「オルガン演奏と作曲」の能力なのです。以上のようにデイヴの血統を探ってみると、彼の並外れた音楽能力にはきちんとした理由があるのだなと、納得しないわけにはいきません。
posted by Crescent Label Master at 05:27| コラム

2010年11月14日

Matching Mole ~ Stream

 キャラヴァンでは順調なベンド活動を送っていましたが、代表作である3rdアルバム、「グレイとピンクの地」の完成後、デイブはバンド結成時の目的を達したと感じたのと同時に、音楽生活全体がやや停滞していると感じ、バンドメンバー以外の人々からの異なったインスピレーションが必要であると考えて、1971年8月、キャラヴァンを脱退しました。

 バンドを脱退して1週間後、ある男がデイブに電話をしてきました。デイブの脱退をメディアで知って電話をしてきたのだそうです。その男の口調は実に軽いノリで、ともすればシリアスな雰囲気だったキャラヴァンのメンバーとは、対極をなす雰囲気を醸し出していたそうです。
 「ハイ、デイヴ!僕はジョン・マーフィーといいます。ギターやベース弾いたり歌ったりするので一緒にやらない?」 これがその後数年間ソングライティングをするときの相棒、ジョン・マーフィーとの最初の接触でした。

DSC00875 (240x320).jpg

DSとJMが初めて顔を合わせたパブの前で © AADBEG Ltd.


 その日の夜、カンタベリーのパブ(Seven Stars Pub)で待ち合わせをした二人ですが、ジョンはギターを持ってきており、人目もはばからず店内で演奏を始めました。機関銃のように早い口調、止めどもないジョークとジェスチャー。その陽気な人柄にデイヴは大いに救われたといいます。

J Murphy (240x320).jpg

John Murphy © AADBEG Ltd.

 二人は今でも本当に仲が良く、後日デイヴとジョン宅に伺った際にも、まるで犬がジャレ合うようにしていたことが印象的でした。デイヴは、自分とジョンのことを漫才師のようだ、とも言っておりました。Boke & Tsukkomi なんだそうです。

DSC00839.JPG

Dave Sinclair & John Murphy © AADBEG Ltd.


 デイヴの曲にジョンが歌詞をつける共同作業が進む中、ジョンが結婚し新婚旅行に出かけることになりました。彼の姉が住んでいる南ポルトガルのファロ(Faro)という街にしばらく滞在すると聞いていたデイヴは、曲につけられた歌詞の一部を変更したかったので、急いでジョンと会わねばなるまい、と考えたのでした。
 なんとデイヴはリュックサックに荷物を詰め、ジョンの書き残した不十分な住所を頼りに、ヒッチハイクでファロに向かったのでした。ほとんど睡眠もとれない状態で、フランス、スペインを横切り、8日後にファロにたどり着きました。何とか街中で彼の姉宅を見つけ、デイヴがドアをノックしたのです。
 ドアを開けたのはジョン・マーフィーでした。8日間ほぼ飲まず食わずで、シャワーも浴びられなかったデイヴの姿を見た彼の非常に驚いた(引きつった)顔を見て、デイヴは考え直したそうです。「ダメだダメだ、これはジョンのハネムーンなのだから、ここに来てはいけないのだ。」と。

 しかし、ヘトヘトの状態ですぐに帰れるはずもなく、2〜3日そこに滞在させてもらっていたところ、不思議なことにイギリスからデイヴに手紙が届いたではないですか。そこにはこんな文句が書いてあったそうです。


Come back !
Your country needs you.

From  Robert Wyatt


 こうしてデイブはジョンとのユニットとは別にロバート・ワイアットの新グループ、マッチング・モール(Matching Mole)に参加することになったのです。(デイヴがマッチング・モール参加のためにキャラヴァンを脱退した、という記事をよく目にしますが、それは事実と反しています。)

 のちにデイヴとロバートがこの件について話をしていましたが、一体どうやってロバートがポルトガルでのデイヴの宿泊先を知ることが出来たのか?二人の中で話題になっていました。どうやらデイヴが発つ前にファロのアドレスをカンタベリーの友人に教えておいたのを、ロバートが手繰って入手した、という事だったそうです。

 ところで、マッチング・モール1stアルバムA面1曲目、「オー キャロライン(O Caroline)」はカンタベリー音楽の中でも、最もファンに愛され続けてきた、シーンを代表する名曲の一つです。もちろん作曲はデイヴ・シンクレア、ヴォーカルがロバート・ワイアット。

 あれから約39年、「オー キャロライン(O Caroline)」以来となる、デイヴ・シンクレアの作曲でロバート・ワイアットが歌う新曲を、やっと皆様に届けることができることとなりました。製作者としては、感無量といったところです。

 Crescent Label第2弾、『Stream』のリリースまで、今しばらくお待ち下さい。
posted by Crescent Label Master at 04:31| コラム

2010年11月13日

Dave Sinclair & Robert Wyatt 1

 デイヴ・シンクレアは、1947年11月24日ケント州ハーン・ベイで出生(ハーン・ベイはカンタベリーの北北東、約10kmのところにある海辺の町)。兄ジョンの通っていたカンタベリーのサイモン・ラントン・スクールに進学、卒業。後のカンタベリー・シーンを築くロバート・ワイアット、マイク・ラトリッジ、ヒュー・ホッパー、ブライアン・ホッパーや、ピンクパンサーのテーマ曲で有名な木管奏者、トニー・コーと同窓となりました。

 サイモン・ラントン・スクール入学前に、父の運転する車に兄と乗って、デイヴが学校を見学しに行った日のことです。カンタベリーの街中で、学校の制服を裏返しに着て、学生帽を後ろ前に被り、長髪を後ろに垂らしてズボンのポケットに手を突っ込んで、大股で横断歩道を闊歩する生徒の姿が目に飛び込んできました。

 「あれは誰?」と兄に聞くと、兄は答えたそうです。「あれがボブ・エリッジだよ。」
 後のロバート・ワイアットその人だったというわけです。

DS & RW (320x240).jpg

Dave Sinclair & Robert Wyatt © AADBEG Ltd.


 後にロバート・ワイアットはこのエピソードについて私にこう語りました。「『平凡やオーソドックスと違っている』ということが、あのころは特に重要だったんだ。」

 Soft Machine のジャケットで、裸にスーツの絵を書いていたR.Wyattを彷彿とさせるエピソードです。なるほど、そんなに若い頃からああだったわけですね。

 いずれにせよ、今日に続くデイヴとロバートの半世紀にわたる関係の第一章は、この瞬間に書かれたことになります。
posted by Crescent Label Master at 02:02| コラム